こんにちは!ジュディです。
雨ですねぇ。
ちょっと気温も下がり気味です。
どんよりとした雲が眠気を誘いますが、元気出していこー!
(あ、いつも元気ではあります。^^)
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「愛されている」に過剰反応しているのは、私も主人もということでしょうか?
先日、ささいなことで主人が怒りだしました。
—–
喧嘩の中で、「人をばかにしている」「お前に気をつかっている」と言う主人の言葉に、それは、私が言いたい言葉だと思いました。
どうしてお互い素直に受け取れないのか…どうしたら、素直に受け入れてもらえるのかを考えなければ、と思いました。
ありがとうございました。 みき
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みきさんありがとうございます。
愛されているかどうか、大事にされているかどうか、そこにこだわると、執着から抜けませんね。
執着は、「上限」があるからです。
愛は無限で無尽蔵なのに、求めると「奪い合い」になってしまいます。
喧嘩、勝敗、奪い合い・・・
そんなときは、「奪われると失う、自分だけが損をする」という思い込みを解除する機会だということなのでしょうね。
愛なんて、無料でどんどん湧き出すもの。
損をするなんて本当は無いのです。
「人を馬鹿にしている」と感じるのは、自分で自分をそう設定しているということなので、どこかで一度、自分をちゃんと再評価することです。
周りに信用されていない、子ども扱いされる、馬鹿にされる・・・
そう感じたら、大人の態度を学習してゆきましょう。
私も40歳くらいになるまで、そこの部分が解せなくて。
自己評価が低いのだ、自分で自分を認めてあげられなくて、他の人に認めさせようとしていた・・・ということに気付くまで、かなりかかりました。
(><;)
でも、そこを抜け出ると、とーってもラクになりました。
自分を自分で認めてあげてもいいんだ!って、腑に落ちたのです。
素直じゃなかったからねー。
すっごい大変でした。ふふ。
自分がオッケーだなんて許せなかったのでしょう。
今思うと、笑っちゃいますけど。
どうか、そのままの自分にオッケーしちゃってください。
いまこの瞬間を丸ごと認めちゃってください。
どうせみんな素晴らしい光なんだからね。
(‘-^*)/