
ある日突然別れたいと切り出される。
よくあるお話です。
ご相談でもよく戴くのですが、ご本人に一切自覚が無いことが多いのがこのパターン。
私もついやってしまうこと。
それは、我を通すことです。
これってなかなか自分では気づきにくいのです。
だって、こうするほうがいいと完全に信じきっていますから。
誰が考えたってこの方が良いに決まっている
というのが、コミュニケーションの大敵です。
愚痴は小出しにしよう
言いたいことは我慢しないで
ちゃんと自己主張しよう
男女平等
そういうことと何が違うのか?っていうとね、
良いと思って我を通しているのは、他者を拒否しているからなんです。
我慢せず、言いたいことを言って夫婦円満な家庭は、ちゃんと相手の意見を聞いています。
でも、我を通す場合はそうじゃない。
これが正しいでしょ、当たり前でしょという正論で押し付けています。
正論って役に立たない時もある。
その大体は、『自分の本音じゃない』から。
だから受け取ってもらえないのです。
でもお互いのために通す我は、信頼の証。
協力する形。コミュニケーションになる形がそう。
このほんの少しの、でも結果が大きく違ってくる差。
部屋を片付けてほしい
要らないものは捨ててほしい
子供にもっと関わってほしい
これの何がいけないの?と私も思っていました。
いえ、いいのだけれども、そこに相手の入る余地があるかないかで、心の距離は近づいたり離れたりします。
部屋は綺麗な方が良い
確かにそう。
でもタイミングとか、できないこともあるとか、そういう「余裕」を持つことで事態は変わってきます。
寛容さとも言いますね。
その『我』を通したとして、結局最後に何が残るのか?って考えたときに、いわゆる『お一人様』になるなぁって。
そう想像できたわけです。
正しいからという理屈で寛容さを失わないように、何より、そう在りたいと強く思うのです。