恋愛至上主義

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恋愛至上主義ってなんでしょう?

と、今朝ふと思いました。浮気をしやすい人は、こういう性質なのかもしれません。

ウィキペディアには

【恋愛至上主義は、精神的な恋愛を神聖視して、肉体的な恋愛は否定する。
そのような恋愛を至上のものとするため、かならずしも結婚に拘泥しない。
情熱が切れれば分かれなければならない。
また、パートナーを得るかどうかも関係が無い。
たとえ片思いであっても、心の底からの「情熱こそがすべて」であるのが恋愛至上主義である。】

とあります。

肉体的な恋愛は否定するということに置いて、婚外の肉体のパートナーを求めている人は、恋愛至上主義ではないのかも知れませんが、「結婚」や「道徳」よりも「内から湧き上がる情熱の方が優位」になってしまうのは、理屈はなんとなく分かるけど、でも私にとっては実に不思議だなぁと思うのです。

特に男性は、同時に複数の相手を愛することができるとかなんとか聞いたことがありますが、その愛とやらがただ「ぽわん♡」とするものならば、それは愛ではなく、色ボケなだけだと本当はツッコみたいところですが。

「ぽわん♡」が、自分の子供の将来や家族の財産、人間関係、仕事、健康などよりも重要な状態というのは、非常に理解しがたいのですが、でも是非理解したい(笑)
私に無い要素なので。

というか、その最中に在っては、先のことが見えていないだけなのかもしれませんがね。恋は盲目なのでしょうね。

そうそう、「今だけ」という感覚も非常に大切なことではありますが、破壊や破滅に向かう「今だけ」は、どうなんだろう?と。
そこはやはり考えてしまいますよね。普通は。

情熱が価値観の一番上になる(なっている)というのは、ある意味羨ましいことでもあります。

でもそんなパートナーを選んで一緒になってしまったら、現実をどのように捉えていけばいいのか、そこにはきっと理由や必要性があるからだと思いたいのです。

でなければ、振り回されただけで「一体あれはなんだったの?」と、自分の生きる意味を失うという「無意味さ」に飲み込まれそうになりますものね。

自分と言う存在が、無意味な、あるいは誰かの添え物的な位置にあるというのも、なかなか解せませんから。

そういうパートナーであるならばきっとそのメッセージは、「自分の情熱を思い出して取り戻そう」ということになるのでしょう。

それをするのはパートナーではなく、自分なのだと。

破たんへ向かうのではなく、情熱を取り戻すのは自分への応援と捉えることで、豊かな自分へと変容するということ。

意味の無い事なんてないんですもの。

でもまぁ、結局言いたいことは何なのか?というと、本当にいろんな価値観があるんだなぁとうことと、ちょっと怖いけど、ある意味、無意味でもいいんだなってこと。
意味よりもプロセスを生きることが大事なんじゃないかと。

昔より、ずっと柔らかくなってきました。(^^)

ある日ふとした好奇心から、主人の携帯メールをこっそり見てしまったのがすべての始まりでした・・・。 ジュディの「ラブラブ夫婦が使っている魔法のコミュニケーション法」テキスト はこちらから
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