「好き」なのは自分を変えてくれる可能性があるから

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好きな人って、自分に変われるチャンスや勇気を与えてくれる人なんだと思います。

そして変わった後も繋がれるのかどうかは運命と呼ばれる領域なのかも。

そこは最初から分かることは無いし、先がどうだろうと道行は自分で歩くしかないよね。そこが大切。

もし変われなかったのなら、それは「好き」というより「得たい」だけなのかもしれないよね。

「得たい」ほど実は「与えたい」もので。

クレクレ星人は本当はアゲアゲ星人の稚魚なのです。

与える喜びにまだ気づいていないか、忘れていたり慣れていないだけ。

しかも「与える」と「取られる」が曖昧。

「取られる」という欠乏感は、取り引きし過ぎたせいで、いつのまにか勘違いしちゃっているから。

それは傷つきたくないゆえに身を守っているだけなので、自信を持って「与える」ことを思い出してしまえば、自分軸はよみがえってくるのです。

与える喜び=与えられる自分に気づく喜び。

取られた感があるのは無理をしているから。

たとえば、今買ってきたばかりのものを全部誰かにあげられますか?

「いっぱいあるから少しあげる」なら、取られた感はあまり無いでしょう。

つまり「与える」というのは、「あり余るもの」じゃなきゃダメ。

少しの犠牲なら良いけど、取り引きゆえの自己犠牲に慣れちゃうと、どんどんダメになります。

好きな人にどんどん貢いでダメになるパターンですね。
それじゃ相手も喜ばない。

もし、あなたが追いかけてばかりの自己犠牲の人ならば、ちょっと立ち止まって自分の中の豊かな部分に注目してあげてください。

それか、自分を先に満足させることです。

自分はどんなことが好きだったのか、どんなことが簡単にできていたのかを思い出してくださいね。

そしてその中で有り余るものを相手に与えてあげてください。
そんな自分を楽しんでください。

その喜びの中にいれば、本当の「好き」でいることができますよ。

ある日ふとした好奇心から、主人の携帯メールをこっそり見てしまったのがすべての始まりでした・・・。 ジュディの「ラブラブ夫婦が使っている魔法のコミュニケーション法」テキスト はこちらから
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